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おっちゃんのこと

親戚のおっちゃんに癌が見つかったと連絡があったのが11月6日。癌は進行していて入院するとは聞いていた。でもいい薬はあると言っていたし、あのおっちゃんやもん。勝手に大丈夫だと思っていた。従兄弟が抗がん剤治療をするおっちゃんへの応援メッセージをLINEで募っていたからメッセージを書いて、イギリスからもおっちゃんに手紙を書いた。私はおっちゃんのことを思いながらも普通にイギリスで生活をしていた。日本に帰ろうかなとも思っていたけど、最近、日本語を教えることも始めていて次の予約も入っている。しかも今、私がイギリスからわざわざ帰ったら、おっちゃんは癌なんか必ず治るのにたいそうやん。と思っていた。

そう思っていたら親からおっちゃんが危ない。家族が病院に数回呼ばれている。と聞いた。うちも日本に帰ろうと思ってチケットを探していた。そんな時、弟から涙声で「今みんなで病院でおっちゃんを見送った。おっちゃん、最後まで頑張ってはった」と電話があった。癌だとわかってから3週間も経たずに、おっちゃんは死んでしまった。

電話を受けたのが夜、次の朝の飛行機に飛び乗って日本に帰った。飛行機の中で辛かった。私が今イギリスにいるのは夫について行ったと言えど私の決断。後悔していない。でもおっちゃんの最期に立ち会えなかった。みんなおっちゃんの最期は声をかけて励ましたと言っていた。私もおっちゃんに声を掛けたかった。意識がなくても生きているおっちゃんにありがとうを言いたかった。まさかのおっちゃんが亡くなって、両親も親戚も辛い中にいる。そこで私は声をかけることも一緒にいることもできない。そこまでして海外に住む意味ってあるのか。と正直思った。

1日かけてケンブリッジから京都についた。私の実家と川を挟んで目の前にあるおっちゃんの家でおっちゃんは寝ていた。触ると冷たかった。でもほっぺたは柔らかかった。でも知っているおっちゃんじゃなくて、いつもの赤ら顔じゃなくて、抜け殻みたいだった。体は魂の入れ物なんだなって思った。

私の実家は家業をしていて、お父さんの兄弟は4人。男3人は同じ会社で仕事をしていた。だから家も近かった。おっちゃんの子供3人と私は同じ苗字で年も近くて、公立の幼稚園、小学校、中学校、全部同じだった。学校の先生に「苗字一緒やしあんたら兄弟やと思ってたわ」と言われたりもした。だから小さい頃からお正月やお祭りはもちろんのこと、普段から互いの家に預けられたり、キャンプも海も川も一緒に行って、小さい頃は特に一緒に育った。お父さんたちの兄弟だから、お母さんたちは血は繋がっていないけど、お母さん同士も仲が良くて、互いのお母さん側のおばあちゃんも血が繋がってなくても、本当のおばあちゃんだと思ってたし(今も思っている)仲が良かった。お父さん兄弟は私たちの家の隣の母屋が生家だから、何かしらあったら、親戚は母屋に集まったし、もしかしたら色々あったかもしれないけど、すごく楽しく私は暮らしていた。大きくなってから、友達と話す中で、親戚とは会わない、というか知らない。みたいな話を聞いて驚いたし、自分の環境は特殊だったんだなと思った。

だからおっちゃんは私にとって「ただの親戚のおっちゃん」と括れないぐらい大切な存在だった。というか正直、おっちゃんに怒られそうだけど、おっちゃんのことを改まって大切って思ったことがないぐらい、私の人生にいて当たり前の人だった。

帰国する飛行機で思い出しては泣き、日本について、冷たいおっちゃんに触れ、お通夜、お葬式、初七日と何度もお経を聞いて、骨壷を見て、丸3日間親戚と悲しんで、おっちゃんの思い出話をして笑って、ふざけて、また泣いて。おっちゃんがいなくなった後の、その弔いの時間を過ごした。だけど実感ができない。外の世界はほとんど変わっていないのに、おっちゃんがいないなんて、おっちゃんにもう会えへんとかおかしい。でも信じられないと同時に、この弔いの時間を過ごす中で「ああ、もう会えないんか」ということをそれが信じられなくても何度も思った。お葬式とか儀式とか意味ある?みたいなこともあるけど、確かに死んでしまった人にとって、この行為がどこまで意味があるかはわからない。おっちゃんは立派な葬式なんかしなくても天国に行くと思う。でもお葬式は、生きている人にとって、生活を一旦止めて今の現実を噛み砕くために必要な時間ではあったと思った。そういう意味では意味があると思った。

おっちゃんはお酒とタバコと野球が好きで、日に焼けていて、お腹が出ていて、顔は比較的可愛いかった。仕事も忙しい中、PTA会長や少年野球のコーチもやっていて、地域で顔も広かった。中学生から「おい、まさや!」って下の名前で呼ばれたりもしていた。私が京都に帰省すると、「おう!元気け?」って聞いてきて、私はお酒は飲まなかったけど、「おっちゃんが美味しいコーヒー淹れたるわ」ってガリガリコーヒーを削ってくれた。私の結婚式に来てくれた時もめっちゃ喜んでくれて、私と夫の間から顔を出して写真を撮って、おっちゃんがいい顔をするからか、式場のカメラマンさんから納品されたデータには、おっちゃんが結構な確率で写っていた。私の夫が京都に来たとき、気さくに話してくれたのもおっちゃんだった。

おっちゃんのお葬式は、会場に入らないほどのお花が外にも並んだ。600人の人が来て、言葉が間違っているけど、大盛況だった。写真の中のおっちゃんは葬式に似合わないピースサインをして笑顔いっぱいで、お経の後、会場にはデフテックのMy Wayがかかった。偉い人も来たけど、おっちゃんの常連の飲み屋のアルバイトの学生や店長なんかも来て、みんなおっちゃんが早死にしたことについて怒ってはいるやろうけど、おっちゃんのことが好きな人ばっかりだった。どこからどう見ても愛されていたんやな、そう思った。

おっちゃんには沢山感謝をしていたけど、今思い返すと、おっちゃんのことがめっちゃ好きだったけど、それらを口に出しておっちゃんに伝えたことはなかった。てかイギリスから出した手紙をおっちゃんは知らぬまま行ってしまったし、こんなことになるなら、なんで悠長に手紙なんか書かずに電話の一本入れなかったんだろう。前には「おっちゃん、うちのインスタ見んといて、きもいやん」とか言ってしまった。本当に後悔だらけ。なんでイギリスからもっと早く帰らなかったんだろう。でも何かしらおそらく皆が後悔してると思う。だってこんなことになるなんて思ってへんかったから。

でも今回よくわかった。普段忘れてしまってるけど、人間は死ぬ。人間も生き物だから。しかもそれって、この人は良い人やから。悪い人やから。とか関係ない。死んでしまう時は死んでしまう。あと、おそらく完全に後悔なく人生を終えるとかも無理やし、死んだ人に対してそう思うのも無理。自分の人生にどこかしらやり残したことは必ずあると思うし、見送る側でも、あの人にすべて伝えきったな、って思うのも難しいと思う。でもそれなら、ありきたりな言葉やけど、周りの人に日頃から伝えたいことは伝えた方がいいし、「明日死んでもいいようにやりたいこと全部やろ!」とかは非現実的かもしれんけど、今の生活の中でやってみたいことは、全部は無理でもやってみた方がいいと思う。今後私はそうやって生きていこうと思った。

おっちゃんへ。棺桶に入れた手紙に書きたいことは書いたからもういいと思うんやけど、おっちゃんのことが、実はめっちゃ好きやったで。うちのことを育ててくれてありがとう。見知らぬ土地に行っても友達を作りたい、人と仲良くしたいって思うのは、うちが人間を好きなのは、おっちゃんたちみんなが仲良い姿を見て育ってきたから、みんながその輪の中で私を育ててくれたからやと思うねん。おっちゃんは自慢のおっちゃんやで。おばちゃんのこととかも気がかりかもしれんけど、うちは、おばちゃんのことも自分のお母さんのことも大切にするな。うちは今後も楽しく生きるし、また会ったら沢山話そな。おっちゃんありがとうな。

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